本の紹介 遠藤周作「死海のほとり」
本の紹介第二弾!
ということで、前回に引き続き小説編第二弾をお送りします。
- 作者: 遠藤周作
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1983/06
- メディア: 文庫
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遠藤周作の小説は「沈黙」「海と毒薬」が有名で、倫理感やキリスト教をモチーフにしたものが多いですが、
この「死海のほとり」はそういったテーマの最もラディカルな(根っこになるような)部分にあたるのではないかと個人的に思っています。
構成が、村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」のように2本のストーリーが入れ違いに出てくる構成になっています。
一つは、主人公「私」と、その友人であり聖書学者である戸田とが、エルサレムからはじまるイエスの足跡を辿る物語。
今を生きるこの二人と、キリスト教との関係、距離感を描きながら、
読者に宗教や倫理と自己との関係の取り方等について考えさせてくれるような物語。
遠藤周作的な雰囲気が漂うのは下のイエスの物語の部分なのですが、こちらも非常に良く出来ていて
(超一流作家なので当たり前といえばそうなのかもしれませんが)
「私」と戸田との対比がなんとも言えない味わいがあります。
戸田という人間を通して自分自身を見つめ直す「私」
その「私」を通して自分自身を見つめ直す読者
そしてこの作品を読む自分は、作品を共有する他の読者にさらに曝されているような感覚さえ抱く
そういう仕組みになってるように僕は感じました。
もう一つは、キリストがもし超能力を使えなかったらどうなるか?
という設定でイエスの人生を書き直したようなお話です。
多かれ少なかれ、他人と付き合う上では「どこまで他人のために行動するのか」という問題ってありますよね。
僕はこれがよく分からなくなることがしばしばあるのですが...
まぁそれはさておき、この物語の中のイエスは、徹底して他人への愛を実践し続けます。
しかし哀しいかなイエスは全くの無力。病人を治すことはできない。パンを与えることはできない。葡萄酒などもってのほか。
本当に何も出来ない。
ただ、相手のそばにいてあげるということを徹底します。
では、そういうことをされた相手は何をする?それを傍で見ている弟子たちは何を思う?
で、この二つのストーリーがあえて交互にプロットされているのにはどういう訳があるのか?
以上です。
読んでくださってありがとうございます^^